伊須流岐比古神社から大宮坊へ行きました。
大宮坊は秀吉の命を受けて前田利家が天正10年に焼き討ちしました。
以前の大宮坊は石動山の中心的な坊の一つで、最盛期には360余坊すべてを支配した別当寺として、最も高い格式と権威を有していたそうです。
ここで、一山の支配・運営、加賀藩や京都の本山との交渉、年中行事などの寺務が処理されていました。
この大宮坊は、発掘調査の成果と文献の資料をもとに、平成10年度から復元工事が進められ、平成14年11月に完成しました。
江戸時代以前は繁栄を物語っていたのですね。
近くに歴史のある山があるのに訪ねる事が出来なかったのが残念です。
足腰の丈夫な内にまた訪ねて見ようと思います。