「之乎路窯」をよくお客様が「何て読むの。」と聞かれます。

「しおじがまです。」とお答えしています。
万葉集 巻17・4025番 大伴 家持の句から頂きました。
大伴 家持が、751年から5年間越中国守として富山県高岡市伏木に赴任していた時に、諸郡を巡行した時に詠んだ歌です。
原文は「之乎路可良 多太古要久礼婆 波久比能海 安佐奈芸思多理 船梶母我毛」 「之乎路から 直越え来れば 羽咋の海 朝なぎしたり 船梶もがも」です。
高岡市から氷見市の頂上石川県との県境にある、臼が峰を越える「御上使往来」と呼ばれる御上使巡見の官道の山道を抜けて「之乎」に出て来たと言われています。
「しお」と読むのですが今は「志雄」とも「志乎」とも呼ばれています。
「之乎路窯」は旧志雄町子浦に在ります。「子浦」も「しお」と読みます。
「しお」にある窯で、陶芸家 向瀬 孝之の「之」から「之乎路窯」と付けました。
万葉集 巻17・4025番の句の石碑が千里浜なぎさドライブウェーの出浜海岸と千里浜海岸にあります。
千里浜なぎさドライブウェーにいらしたら大伴 家持の句碑をご覧になって下さい。
「之乎路から ・・・・・・・・・・」と書いてあります。
「之乎路窯」へも足をのばして見て下さい。
お待ちいたして居ります。